好きはものの上手なれ

先日書いたヘルムホルツの音感覚論もそうだが最近は他の論文を読むことがあり、改めて人間の知識欲のバイタリティはものすごいなと感じている。

音感覚論

音感覚論

 

 

なんでこの人はこんなこと(失礼だが)をここまで調べ上げたのだろう。こんな細かいことまで調べる必要があったのか。といった疑問を持ちつつ読んでいて、しかしそれを読みたいと思って読んでいる私自身がいるのだ。

単純に、知らないこと、わからないことを知りたいから調べ研究するのだと、ただそれだけのことである。

 

そのようなことを思ったと同時に、世界の物事のすべて、いやほぼ全てには何かしらの理由があるのだろうとも思った。

人の心理もそうなのだ。もし誰かが泣いている時、怒っている時、その人にとっての理由があるはずだ。たとえすれ違いや誤解によるものだとしても、その時その人に起こったこと、それによりその人が感じていることによって泣いたり怒ったりしているのだ。

社会に出て働くよりも遊んで暮らしたい、だが働かないと生きていくためのお金を手に入れられない。だから職を見つけて働きたいという人もいるだろう。

 

知識欲にしてもそうなのかもしれない。知らないこと、不思議なことがあり、その事象について知らない自分がいる。自分がよく知っている分野と同じ分野であるはずなのだが、もしくはこれまでの人生で全く関わりのなかった分野だが、その事象について疑問と興味を持っている自分がいる。単純に知りたいということなのだが、ゆっくり分解すればこういった心理の動きがあるのかもしれない。

 

私自身、改めてこのような心理の理由づけを日々の暮らしでできていれば、おそらく心穏やかでいられるのだろうなと思った。もし何かに苛立っていたらまず自分が苛立っている理由をじっくり考えてみて、その理由があまりにも自分にとって理不尽なことだから苛立っているのか、もしくは自分の思い通りにならないというだけのエゴからきた感情なのか。

 

また身の回りの様々なことに「なぜ」という感情を向けてみることも試してみようと思う。どんなことでもいい。たとえば今こうしてPCのキーボードを叩いてブログを書いているわけだが、なぜ、キーボードの配列はこのようになっているのか。肩がこったとき、なぜ私は今肩がこっているのか。なにか原因があるのか。というように、意識的に興味を持ってみることを習慣づけていきたい。

 

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