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ブログを書いてみようと思った。

リアルともtwitterアカウントとも関係のないブログを始めようと思い、とりあえず、はてなブログを使ってみることにした。

 

ブログをはじめる理由としては、今のところ、特に何か書きたいことがあるわけでも無いのだが、大学を出て、社会人をしばらく過ごしたところで、違和感というのか、あることに気がついた。

 

言語化ができなくなっている。

 

いやそんな、できなくなっているというほどでもなく、あくまで感覚的に鈍っているような気がするという程度であって、1行の段落を使って大げさに書くような事でも一切ないのだが。。 

 

もともと私は人と比べると口数が少なく、無口な方ではある。

大学の知人友人と会うことは多いし、twitterでもそれなりに多くつぶやいている。

しかし今までのノリやニュアンスでの会話、つぶやきになってしまい、気づいてみれば人に何かを伝えようとする能力が明らかに落ちている。

 

自分の考えをうまく伝えることはおろか、自分の考え自体を、私自身が気付かず理解できていないという場面が増えている気がする。

 会社勤めもしばらくしていたが、数人程度のごくごく小規模の会社で、接客応対は特に不自由なくできるのだが、学生時代と比べると人と話すことが減っていた。

論文や本を読むこともほぼ無くなっていた。

 

今はフリーランスとして細々と生きているのだが、自宅から出ない日もあり、1度も声を発することもなく1日が終わることもある。

 

今日、大学の後輩と夕食に行った。

その後輩は私が大学の寮に住んでいた頃からの後輩で、ここ最近、特に今年はほぼ毎日のように会っている後輩なのだが、今は大学院に通い、修論を書いている。

後輩と私は毎日のように夕食(主に麺類)を食べに行くため、私が時間を奪っているせいなのかどうかは定かではないが修論の進捗が少々よろしくないらしい。

しかし毎日分厚い本や文献を読み、論文を書いていることが私にとっては、今の私にとってはできないことだなと正直思った。

論文の予定文字数を提出までの残り日数で割れば、1日に書くべき文字数は大したことない、という話をしたのだが、論文はそういうものでもないだろう。

 

今の私には毎日活字を読み、文章を毎日書くことができるのだろうか。そんなことを帰りの電車で思ってしまった。

twitterでのつぶやきでもなく、Facebookの写真のコメントでもなく、人に伝えられる文章を書いたり、意識せずともわかりやすい日本語で人と話すことができるだろうか。

そんなことを考えていて、とりあえず私も何かやってみようかと思い、ブログをはじめることにした次第である。

言語化の練習、自分の考えをアウトプットする練習である。

 

今ここまで書いて、脱線した話も含めて私としてだいぶ多めの量を書いていて驚いているのだが、いかんせんだいぶ時間がかかっている。

 

できているかどうかはともかく、表現することがここまで疲れるということを思い知らされているわけである。

 

オチもなく、とりとめのない文章となってしまったが、とにかく日記でも、思ったことでも、1行でも、何か書くことをしばらく続けてみようと思う。いつまで続くことか。